アコギと、30万円と、鉄壁のディフェンス

第1章:二十歳の夜、あるいはカースト上位の残響

すべての始まりは、成人式の夜だった。 同窓会の熱気が冷めやらない夜の街、私はなぜか、地元のカースト上位グループの女の子たちが乗るタクシーの前に連れて行かれ、強引に車内に引っ張り込まれそうになっていた。

「私さんはこっちの車だよ」
「え?なんで私さんにそういうこと言うの?私さんのこと好きなの?」

こんなやりとりが始まった。

だが、私はお酒を飲んでいなかったし、何より自分の車で来ていた。

「いや、俺、車あるから」

至って冷静に、そして驚くほど素っ気なくそう言い残し、私は彼女たちの熱烈な手招きをすり抜けて、自分の車へと戻ってしまった。

同窓会が終わった後も何名かは連絡を取り合い、ちょこちょことお酒を飲んで楽しんでいた。

そのグループでなぜか私の部屋に男2、女2で泊まることになった。ベッドは一つなので、男友達とC子はベッド、私とB子は床という組み合わせ。隣のベッドでは、もう一人の男友達とC子が何やら不穏な気配を漂わせていたような気もするが、睡魔には勝てなかった。

後日、風の噂で「あの夜、友人とC子はベッドの上で最後まで至ったらしい」と聞いた。本当かどうかは闇の中だ。ただ、あの生々しい空間の横で、変に詮索もせず「さっさと寝た」私のマイペースさだけが、結果的にその夜の平和を守ったことだけは確かだった。

思えば、私の人生はこの「絶妙なスルー力」にずっと守られてきたのかもしれない。

高校の同級生だったDと、何度か遊んだ時のことだ。

その日は男2人とDの3人で夜更けまで遊び、もう一人の友人は終電で帰っていった。しかし、Dはなぜか「私の部屋に泊まる」と言い出した。

私はいつも通りのルーティンを崩さず、寮の大浴場へ行き、戻ってくると自分のベッドに潜り込んだ。

「私は床でいいよ」

健気にそう言ったDの言葉を、私は一ミリの疑いもなくストレートに受け止め、本当に床で寝かせた。夜中にベッドへ這い上がってくることも、私が床へ降りることもなく、朝を迎えた。

後日、Dから告白された。私はそれを断った。

あの夜、彼女が床の上でどんな思いで私の背中を見ていたのか、その時の私には知る由もなかった。

第2章:ノルマ達成の帰路と、タバコ部屋の残像

時が経ち、私は携帯電話を店頭で販売するアルバイトをしていた。 基本は2人ペアでの稼働が多く、ある日、私がリーダーとして、現役の女子高生の女の子とペアを組んで現場へ向かうことになった。

移動の最中、彼女はいろんな話をしてくれた。私のスリムな体型を見て、「一緒のシフトになると分かった時、友達から『そのスタイルの秘訣を聞いてきて!』って言われたんだよ」と、嬉しそうに話す。その子の友達は、バイト先の派手なギャル男集団の一人と付き合っているらしかった。 「あのギャル男たちと同じように、私さんとも仲良くなりたいな」 彼女は、少し背伸びをするようにそんな言葉を投げかけてきた。

店に到着し、販売を開始すると、私の先導もあってあっという間にその日のノルマを達成してしまった。 「こんなに早いの初めて……!」 彼女は目を丸くして感動していた。時間が余ったので、2人でファミレスに入ってご飯を食べ、のんびりとした帰路についた。

その帰りの電車の中だった。さっきまで仕事の先輩として見ていた私に対し、彼女は突然、あまりにも生々しいプライベートの相談を切り出してきた。 「……あのね、セックスは経験あるんだけど、いつも痛いんだよね。どうしたらいい?」 バイトのギャル男たちには絶対に言えない、だけど頼れる大人のリーダーである私だからこそ打ち明けられた、少女の切実な本音だった。私は動じることなく、静かにアドバイスを送った。 「ゆっくり時間をかけてやればいいんだよ」 彼女はすとんと腑に落ちたような顔をしていた。

夜の7時、駅で別れ際、彼女は「これから友達と缶蹴りに行ってくる!」と、さっきのディープな相談が嘘のような無邪気さで笑い、夜の街へと走っていった。

別のバイト先には、もう一人、少しヤンキー気質だが話すと滅法面白いEさんという女性もいた。 私は自分がリーダーとして作ったグループに彼女を引き入れ、多くの時間を共有した。彼女に恋人がいるかは知らなかったし、彼女も私に彼女がいることを知らなかった。

ある時、Eさんの友人のバンドのライブに誘われたそうだが「カップルばっかりだから行きたくない」と断ったとわたしに話てきた。当時の私の彼女にその話をすると、「私さんと一緒に行きたかったんじゃないの?」と見抜かれたが、当時の私はピンとこなかった。

その後、彼女の界隈の悪ノリ飲み会で「ゲームを達成したらEとセックスできる」という企画があったと本人から聞いた。なぜそんな話を自分にしてくるのか疑問だった。結局、彼女は誰ともしなかったようだが、その後別の男と付き合い、「相手のセックスが痛くて嫌になった」とまで私に報告してきた。

バイトをお互いに辞めた後も、なぜか連絡を取り合う関係だけは続いた。だけど、二度と会うことはなかった。今思えば、あれは彼女なりの、精一杯の歪んだサインだったのかもしれない。

第3章:30歳、那覇の孤独と500円の部屋

そして、人生の大きな転換期が訪れた。

30歳。バイト生活に区切りをつけ、正社員になると決めた私は、最後のモラトリアムとして半月間の沖縄一人旅に出た。

アルバイトで貯めた30万円を握りしめ、背中にはアコースティックギター。実はキャッシングローンの返済が残っており、旅の途中で何度かATMに駆け込んだのを覚えている。

初めての飛行機、初めての沖縄。宿は初日しか予約していなかった。

一泊500円でも泊まれるゲストハウスという存在を知り、「30万円あれば半月は余裕で遊べる」と踏んだのだ。

しかし、初日に泊まった普通のビジネスホテルで、猛烈な寂しさに襲われた。

(もう帰ろうか……)

部屋のベッドで、スマホを使って帰りの飛行機のチケットを検索している自分がいた。理由は分からないが、なんとか思いとどまり、翌日は『GUEST HOUSE BASE OKINAWA』のドミトリーに駆け込んだ。一泊500円。

そこから旅の歯車が回り出した。同室の人と話し、無料で借りた自転車を漕いで糸満やひめゆりの塔へ向かった。途中で見つけた薄暗い洞窟にふらりと入ると、かつてそこで自決した人々のための供養の折り鶴が並んでおり、背筋が凍った。

這い出るようにして入った定食屋で食べたゴーヤチャンプルーは、生きていくエネルギーが身体に染み渡るようで、狂おしいほど美味しかった。

第4章:名護の焚き火と、美ら海の静寂

翌日、高速バスで一気に北上し、名護へと向かった。

最初は誰も知り合いがおらず、寂しさを紛らわせるように一人で海へ行き、アコギをポロポロと弾いていた。

そこで入ったゲストハウスで、20歳の旅行者、Hと出会った。

夜、宿泊者やスタッフと焚き火を囲み、お酒を飲む。音楽好きのHの前で、私は持ってきたギターを弾いた。ゆらゆらと揺れる炎とアコギの音。それは旅先ならではの、奇跡のようにロマンチックな時間だった。

翌日、私がさらに沖縄を歩いて北上すると告げると、Hが言った。

「北上するなら、またここ通る?」

「そうだね」

「じゃあ、何日にこのゲストハウスに泊まってるから、落ち合いましょう」

具体的な日時と場所を指定した、約束。20歳の彼女が振り絞った、精一杯の「もう一度会いたい」というサインだった。

だが、私は名護を出た後、美ら海水族館の近くにあるビジネスホテルに2泊した。この頃にはまた人付き合いが面倒になり、あえて個室を選んだのだ。水族館にも大して興味は持てなかった。

その後、再び名護のルートへと戻った。Hが待っているはずのゲストハウスのすぐ近くまで行った。しかし、急に面倒臭さと恥ずかしさが押し寄せ、結局私は別のゲストハウスへと向かい、彼女と再会することはなかった。

道中、ジャングルのような沖縄の山を歩き、恩納村のゲストハウスに飛び込みで一泊した。風呂もなく、手持ちの菓子パンを夕食にし、やたらとうるさいカエルの大合唱を聴きながら眠った。

孤独と自由が入り混じる旅の空の下、私はなぜか、あのバイト先のヤンキーのEさんに電話をかけていた。

「オレはいま、一人で沖縄旅行してるぞ」

受話器の向こうの彼女の声を聴きながら、私はまた一歩、歩みを進めた。

第5章:コザ、Highway Starが聴こえる街

恩納村からさらに歩き、私はコザ(沖縄市)にたどり着いた。

かつて米兵たちで賑わい、今は少し寂れたその街には、至る所に楽器屋やライブバーがあり、音楽の匂いがプンプンしていた。私はこの街がすっかり気に入り、旅の最終日までここで最も長い時間を過ごすことになる。

朝は近くの公園で、沖縄特有のやっすい弁当を買って食べ、ギターを弾いた。いつも同じ店で弁当を買っていたのだが、その向かいにある店のオーナーが、なぜか私が買った弁当の袋の中に、揚げたての天ぷらをこれでもかとたくさん放り込んでくれた。それを宿に持ち帰り、ドミトリーにいる連中と分け合って食べるのが日課になった。

そのゲストハウスで、年上の女性旅行者、Iさんと出会った。

Iさんは女性なので個室だったが、ほとんど自分の部屋にはおらず、リビングで私とたくさんの話をした。

「夜のコザの街で遊んでみたい」

Iさんがそう呟いた。しかし、コザの夜は少し治安が悪い。ゲストハウスのオーナー(ラジオパーソナリティやバーをやっている粋な女性だった)は時間がなかったため、なぜか私を指名した。

「あなた、一緒に連れて行ってあげてくれる?」

こうして、私とIさんは夜のコザへと繰り出した。

米兵ばかりがひしめく、ディープなライブバー。英語はさっぱり分からなかったが、ドリンクを注文し、2人で爆音の演奏に身を委ねた。

ステージからは、ディープ・パープルの『Highway Star』と、スティービー・レイ・ボーンの『Scuttle Buttin’』が、鼓膜を破らんばかりに鳴り響いていた。

その後、同じ宿の男性Jさんも近くの知り合いと飲んでいるということで合流し、夜は賑やかに更けていった。Iさんが私に向けていたリビングでの視線や、2人きりで歩いた夜の意味に、当時の私はまたしても気づかない振りをしていたのかもしれない。

最終日、私は高速バスに乗り、那覇空港から飛行機に乗って現実の生活へと帰っていった。

エピローグ

成人式の夜も、Dの部屋の床も、Eさんの歪んだ愚痴も、名護の焚き火も、コザのライブバーも。

私はいつも、女性たちが投げかけてくれる好意やサインに対して、スマートに応えるような器用な男ではなかった。めんどくさがり、気恥ずかしがり、いつも自分のペースでさっさと寝たり、別の宿に泊まったりしてきた。

だけど、30歳になる直前、アコギ1本を背負って歩いたあの沖縄の景色は、今でも私の心の中で鮮やかに色褪せない。

コザのあの楽器の匂いがする街へ、あの爆音が響くライブバーへ、今でももう一度、行ってみたいと思うのだ。

おすすめ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です